「に、蜘蛛の巣」



















































さあ悲しい事情にはカナリアの如く。
正に黄色い声を絶ち、謡いながら踊り狂ったら。
地獄とかいう楽園には
ただ一筋の光もなく。
ただ一欠けらの純情を、求め貪りあう
我等を赦せ。




篭の中で鳥が鳴いた。
彼女の声はカナリアそのものだったが、彼女の姿は真っ白でまるで別の鳥のようだった。
最初はそんな彼女が情けなく、なんて半端な生き物かしら、と残念に思っていたが
今ではそんな彼女が愛おしく、世界に二つとない生き物、だと自慢に思う。
彼女はどんな宝石よりも輝いて見え、彼女が世界一美しいとさえ思っていた。
小さな彼女には少しばかり大きすぎる篭の中、不思議そうに首を傾げる様がかわいらしく、いつまでも飽きずに見ていられた。


彼女と二人の部屋は、なんだか秘密の部屋にいるようで楽しくてしかたがなかった。


いつしか彼女に赤子のように名前を付けてやろうと思い始めた。
美しい容姿に似合う、素敵な名前を。
しかし毎日毎日考えても、そんな素敵な名前は思い浮かばなかった。
何故なら知っている名前が少なかったからだ。
それでいて、近所の友達や親戚の名前など美しい彼女には付けてやりたくは無かった。
酷い矛盾に頭が痛くなった。
彼女が物を言えたらいいのに、そうすれば一緒に考えられるのに。
しかし彼女は、カナリアのように囀るだけで意味のある言葉などを発することは無かった。
美しい名前も思いつかないまま、夜が来て朝が来て・・。

その間にもずっとずっと彼女の名前を考えていた。
だけれどある日突然、ぱったりと彼女は囀るのを辞めてしまった。
その時彼女の名前が、ようやくラージという名前に決まったというのに。


囀る事を辞めてしまったラージを、見ているだけで心が痛んだアルファはなるべくラージには逢いたくないと思っていた。

秘密の部屋だと感じた、お父様のもう使っていない古い書斎も、酷く淋しく感じた。
だけれどもしかしたら、アルファの見ていない所でラージが囀っているのかもしれない、と
こっそりドアの陰に隠れたり窓の外で待っていたりしたが、ラージが囀る事は無かった。

次第にアルファは彼女がどんな声で鳴いていたのか、解らなくなっていった。

忘れてしまったのだ。
アルファはまた、ラージが嫌いになっていった。
やっぱり、なんて半端な生き物なのかしら、と。
蔑むようになっていった。

「彼女が何故鳴かなくなったか」

アルファは自分で何処か解っているような気さえしていた。
ただ、気付きたくないだけ。そう。かもしれない。
そう。なんだろう。


鳥籠には、蜘蛛の巣が這いはじめた。
いつ、何処から入ってきたのかアルファには解らなかった。
そもそもアルファは鳥籠に蜘蛛の巣が這い始めた事も知らなかった。
アルファはラージが鳴くのを止めてから、決して部屋には入らなかった。


その日はとても晴れた日だった。
いつもよりもずっと澄んだ空気に、アルファはなんだかラージの声が聞きたくなった。
そして長らく行くことの無かったラージの部屋へ行ってみる事にした。
鳴くかしら、鳴かないかしら。
でもきっとこんなに素晴らしく晴れたんですもの。きっと歌いたくなるに決まってるわ!
そんな淡い期待を胸に、アルファはラージの部屋のドアを開けた。


しかし秘密の部屋だと感じた古い書斎は、
アルファとラージの部屋ではなくなっていた。
辺り一面、蜘蛛の巣が張り、ラージの入っていた鳥籠は

蜘蛛の巣が巻き付いて糸玉のようになって床に転がっていた。
ラージの姿はどこにも無かった。
アルファは思わず叫び声をあげてしまった。
その声はどこかで聞いたことのある声だった。
昔は、毎日のように聞いていた・・そんな声。
アルファは叫びながら鳥籠を蹴飛ばしてしまった。
悍ましい世界から逃げるようにドアを閉めて、明るい光のさす世界に飛び出した。

その時、一羽の白い鳥が飛んだ。

いつか聞いたような黄色い声で鳴いて。
アルファはもう一度大声で叫んだのだった。


彼女もアルファも
もう泣くのをやめた頃だった。